2023年3月16日木曜日

三田用水通水にともなう収量の変遷

 ■先ごろ…

入手していた

加藤一郎・編著「郷土渋谷の百年百話」渋谷郷土研究会/S42・刊

「第一七話 玉川上水と三田用水のこと」(pp.83-89)中

のpp.87-88に「用水使用前後の農作物収穫比」なるデータがあった。

 これまで、用水開鑿前後の各村の石高の変化を示すデータはあったものの、それでは、
  • 用水の開鑿に伴う耕地とくに水田の面積の増加という量的側面と、
  • 用水による水利の改善による田畑の単位面積あたりの収量の増加という質的側面の、
どちらが、どの程度寄与しているのか分からない、という根本的といってもよい難点があったので、後者のみに着目したデータは非常に貴重なのである。

■もっとも…
この出典としては「渋谷区立長谷戸小学校教諭斎藤政雄氏*『実態調査』による」と示されているのみで、同校に関連が深い、旧下澁谷村長谷戸〔ながやと〕**(下図赤下線)を流れていた三田用水の猿楽分水***によって灌漑された農地のデータと推定はできるものの、その1次資料、とくに、時期が明らかでないのが残念なところ****

* その著書
斉藤政雄(渋谷区文化財調査委員)「渋谷の湧水池」渋谷区教育委員会/H08・刊
斉藤政雄・編「渋谷の橋」渋谷区教育委員会/H08・刊
 経歴 
http://shibuya-city-record.tokyo/assets/wp-content/uploads/2023/03/15110909/N1285_20090115.pdf 

なお、H22逝去 

  から推して、↑の渋谷区名誉区民かもしれない。 

 ** 余談にわたるが、三田用水の鉢山分水が流れていた旧中澁谷村の長谷戸(下図青下線)は「はせど」と訓む。

*** 代官山ヒルサイドテラス内の猿楽塚前で三田用水から分水され、東横線代官山駅付近から渋谷川に向かって流下していた(参照:三田用水分水図 

**** 三田「用水」開鑿前のデータまであるようなので、旧下澁谷村の慶長期からの「草分け」といわれ、同村の野崎組なる地域の名主を長く務めた野崎家に残っていた文書の可能性が高そうに思えたが、 

渋谷区「渋谷区史料集 第三」同区/S57・刊所収の「野崎家文書」(pp.31-)中にも、

野崎家の文書が原典とされる 「四ッ谷御上水分水 字三田用水由来一件書」 にも、

該当の記述を見つけることができなかった。

ただし、上記*の故・斉藤政雄氏は、渋谷区文化財調査委員であるほか渋谷郷土研究会の世話人だった とのことなので、長谷戸小学校勤務中に、まだ未公開だった野崎家文書を読んでまとめたものの未公表だった資料(上記、…遊水地、…橋、その他同氏著の「渋谷の昔話」のどれにも収めにくい)を郷土研究会に提供した可能性は高い。

【追記】 

斉藤政雄 「ふるさと渋谷」渋谷郷土研究会/1994・刊

の「まえがき」によれば

同氏は、長谷戸〔ながやと〕小学校に教諭としての勤務歴があり、同小学校で昭和31・2年に「えびす付近実態調査」を編纂していたことがわかった。

敗戦からほんの10年余りの昭和30年代、文書を保有していた野崎家としても、それまで誰も見向きもしなかった文書を「持て余し」していた可能性もあり、そこに地元の小学校の先生から申出があれば、「何かの役に立つならば」と、喜んでそれに応じたのではなかろうか。 

したがって、出典は、この 「えびす付近実態調査」である可能性が高い。

幸い、2巻とも渋谷区立中央図書館に収蔵されているらしい。 

T05 1/10000地形図 「世田谷」「三田」接合図〔抜粋〕
■とはいえ…

この、掲載のデータを元に、用水使用前後の農地1反あたりの収量の変化を計算すると、下表のようになる。


用水使用前田一反に付、種一斗五升まき、その収穫畑一反に付、麦種一斗三升まき、その収穫小麦一反に付、種六升まき、その収穫
上田中田下田上畑中畑下畑上畑中畑下畑
籾1石5斗程籾1石2斗程籾1石程取殻1石程取殻8斗程取殻7斗程8斗程4斗程4斗程
用水使用後田1反につき種六升より一斗二升までをまきその収攫畑一反に付、麦種五升より一斗まきその収穫小麦一反に付、種六升まき、その収穫
上田中田下田上畑中畑下畑上畑中畑下畑
籾4石程籾3石6斗程籾3石2斗程ニ石程1石8斗程1石6斗程1石程8斗程6斗程
上記を換算
1石=10斗=100升 なので、上表を「斗」単位に換算
併せて、種と収量の比率を算出
用水使用前田一反に付、種1.5斗まき、その収穫畑一反に付、麦種1.3斗まき、その収穫小麦一反に付、0.6斗まき、その収穫
上田中田下田上畑中畑下畑上畑中畑下畑
籾15斗程籾12斗程籾10斗程取殻10斗程取殻8斗程取殻7斗程8斗程4斗程4斗程
収量比10.008.006.677.696.155.3813.336.676.67
用水使用後田1反につき種0.8斗~1.2斗までをまきその収攫畑一反に付、麦種0.5~1.0斗まきその収穫小麦一反に付、種0.6斗まき、その収穫
上田中田下田上畑中畑下畑上畑中畑下畑
籾40斗程籾36斗程籾32斗程20斗程18斗程16斗程10斗程8斗程6斗程
収量比40.0036.0032.0026.6724.0021.3316.6713.3310.00
用水使用前後の収量比の増加率を算出
収量比増加率4.004.504.803.473.903.961.252.001.50


■やはり…

用水使用までは天水(雨水)や湧水、せいぜい溜井による水利にたよっていた水田の収量の増加が、上田、中田、下田おしなべて顕著といえる。

 しかし、畑についても、とくに大麦のそれが(小麦に較べても)大きいのだが、これは

1 用水路から周辺の地中への浸透水

もっとも「用水」なので、用水路に通水される期間は限られる のだから、さらには

2 二毛作の場合はイネの収穫後の土中の残存水分

大麦の収量の増加率からみて、当地では裏作として大麦を栽培していたのではいか、と思われる

3  水路からの水の蒸散による空気中の水蒸気の増加

上記2からみて、当地では二毛作の裏作は大麦だったと想像される。

そのため、小麦は従前どおり高燥な台地上で作付けしていたのだろう。

それでも、用水開削後に収量が増加しているのは、この3が要因と考えるほうがよさそうである。

も、かなり寄与しているようなのである。


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