2022年10月30日日曜日

【域外】渋谷川支流:宇田川富ヶ谷支流東流路

 ■2002年ごろ…

撮影のポジフイルムを整理していたら、標記の東流路 の遊歩道化

https://goo.gl/maps/eJkMaSZ69GjbWJCf7

工事の写真が出て来た。

 

■この当時は…

三田用水の、世田谷区北沢5丁目の玉川上水からの分水口跡から、東大駒場の東端あたり


文化村通り出口の旧山手通をはさんだ向かい側にあった、かつての帝大農科大学時代の門柱と思われるが、現存しない。

までの、水路跡を探して写真で記録することに集中していたのだが、用水路からはかなり距離のあるこの場所まで、なぜ、いわば「迷い込んだ」のか、20年後の今ではなかなか思い出せなかった。

■ようやく…

思い出したのは、この地域には、三田用水の正規の分水は存在しないものの、近世期から、この富ヶ谷支流の西側の流路には、上原に用水路からの浸透水を水源としていたと思われる溜井がある。

東京都公文書館・蔵「代々木村絵図」
赤矢印が、溜井の水源と思われる上原の「出水」〔「いすみ」と訓むらしい〕
図中の川筋は、上部が玉川上水路、
その下が、右(東)から順次、河骨川、宇田川初台支流、同上原支流、同富ヶ谷支流、三田用水路
























帝国陸軍陸地測量部 M42測1/10000地形図「世田谷」抜粋に補入

【追記】
によれば、同図が作られた昭和11年当時、溜井(また、この富ヶ谷支流東水路)が、まだ存続していたことがわかる。


■上図の…

久米邸の池(これにも、三田用水路からの浸透水が寄与していると思われる)からの排水路は、上原の溜井に通じていると想像していたのだが、現地の地形を見ると、東方向に向かっているように感じたことから地図の東側の谷にあたる、上記の工事現場にたどり着いたらしい。

■今回…

令和4年10月29日に、この場所に行くことに思い至ったのは、その時、写真のサクラ「が枯れる虞がある」として工事の中止を求める貼り紙(2枚目の写真でサクラの幹に貼られている)を見たことを思い出したからであるが、google map でもわかるように、行ってみると、サクラは無事だった。





























































■あらためて…

当地をみると、このサクラの脇を通り抜けできないとなると、近隣住民にとっては迂回を強いられるので、不便この上なく、貼り紙をみた限り当時反対していた住民が1名に止まっていたのも、よくわかる。

 また、この場所は、工事の前からすでにサクラの脇には、下水の暗渠用の配管が埋設されていたはずであり(そうでなければ、さしたる雨でなくても内水氾濫が必至である)、いわばその上を舗装したからといっても、サクラは広範囲に根を張る性質があるのでさしたる影響は無かったのだろう。

【余談】

■ここからの…

帰途は、やや下流部の、溜井下流の西側水路との合流部からそちらを登って、駒場道(現・コスモス通り)に戻ったのだが、かつての、西側水路の現役時代からあったと思われる、2本のサクラの巨木が残存していた。

道路の傾斜や地図〔複数〕から推すと、この辺りから下(東)の、
現・上原2丁目6・7番あたりが、溜井だったようである

























【余禄】

今のところ、他に使い途のない宇田川の支流の写真なので…とりあえずここに

■確か…

21世紀に入ってほどないころ、代々木八幡附近の環状6号・山手通の拡幅工事を見にいった折、従前の道路面を掘削した場所に、コンクリート造の暗渠のようなものが見えた。

■このあたり…

古地図をみると、代々木八幡の周囲は、八幡の山の東西をとりまくように水路があって、ちょうど小田急線の代々木八幡駅のあたりで合流していたので、暗渠化されたその西側の水路と思われた。













■渋谷川に…

詳しい、梶山公子氏のWeb 「あるく渋谷川入門」を参照すると

その「渋谷川トピックス」「バックナンバー10」 中「2018.11.27」の項

「5.山手通り下の宇田川合流点から新富橋へ」の図から、これは、

渋谷川の支流の

宇田川の支流の

初台支流〔俚俗・初台川〕の暗渠らしいことがわかった。

M42測T10修測2・1/10000 世田谷+中野 接合図
赤矢印が写真の「初台川」。青矢印が「春の小川」こと「河骨川」〔こうほねがわ〕



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