■複々線化工事の進む…
小田急線東北沢駅は、地下部分の構造物はすでに完成し、駅舎もすでに仕上げ段階に入っている。
この駅の東、旧代々木上原3号踏切脇には、かつて三田用水が流れていた。
大山谷停車場(現・東北沢駅)設計平面図 東京都公文書館・蔵 |
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/Mita03.htm
(末尾近くの「[追記]2003/04/04」以下参照)
も、とっくの昔に破壊されたとばかり思いこんでいた。
■普段は…
旧3号踏切のあった駒場道ではなく、1本西の裏道を通っているので気づかなかったのだが、昨日、ポストに寄る都合から、駒場道を通ったところ、最近まで工事現場にあったコンテナ式の事務所棟が取り払われていた。
事務所棟のあった場所をよく見ると、何とあの立坑遺構は、まだ、周囲がH型鋼で組んだ枠で補強され、その上に鋼板を乗せた工事着手当時のまま、残っていたことがわかった。
おそらく、肝心の工事の方の工程の都合もあり、立坑への対処の方針が決まらない状態で、事務所棟を置いたために、手つかずで残されていたのだろう。
■今後…
この場所では、駅前広場を造る工事が行われるはずなので、おそらくは、いわゆる「埋め殺し」にされて、姿を消すと思われるが、全く期待していなかった物を改めて見ることができ、
以上の写真は〔Elmarit28/4th〕
大げさにいえば、旧友に久しぶりに再会した気分である。
■この場所は
昭和初期、ビールの醸造用水の水質の維持のために恵比寿の大日本麦酒が始めた、従来の開水路〔白堀〕を、ヒューム管による暗渠にする工事にともなって、昭和16年ころ、水路と交差する小田急線の鉄橋を廃止して、サイフォン〔推定〕で線路下に用水を通す構造に変更したようなのである*。
*国立公文書館に
件名 三田用水橋梁廃止の件
階層 行政文書>*運輸省>陸運関係>鉄道関係>地方鉄道免許・東京急行電鉄(元小田原急行鉄道)・昭和16~17年
請求番号 平12運輸01878100
件名番号 030
保存場所 本館-3B-014-00
作成部局 鉄道局
年月日 昭和16年11月13日
<https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000001300679.html>
なる記録がある。
小田原急行鉄道で三田用水の橋梁があったとすれば、この、旧代々木上原3号踏切東脇以外にあり得ないので、下図のようなサイフォン化が昭和16年ころ行われたらしいことがわかる。
上記Webの図を修正 |
【追記】
■工事開始直後に…
携帯で撮った写真が出てきたので、この機会にご披露することにした。
2005/04/27 11:36
線路南の建設会社の寮の解体工事
2005/04/27 18:13 夕方には解体工事が完了していた オリジナルの「蓋」の様子がよくわかる |
2005/06/10 坑内を測量(計測)していたようである |
2006/02/02 大型ライトを持っているので坑内の構造調査かと思われる |
2006/06/19 目的不詳だが、四角い枠内が木の角材で埋められた |
2006/11/日付不詳 最上部の四角いコンクリートの枠組みが撤去されて、H型鋼のフレームに取り換えられた その下に、円形の蓋が入っていたらしい、やはり円形の枠があったことがわかる。 (これのみ、フィルムカメラによる画像) |
2000年ころ |
上階は建設会社の寮として使われていた |
【追記】2021/02/23
小田急線地下化にともなう、同線の東北沢駅前広場の整備工事がほぼ終了し、駅への取付道路の入り口にあたる都道補助26号線の整備も進行中で、先ごろ行われた歩道のアスファルト舗装が、三田用水のサイフォンの立坑を覆う鋼板ぎりぎりのところまで行われている
手前が歩道。青い仮設フェンスが敷地境界。 |
上からみても、ぎりぎりで
フェンスの下から覗き込んでみると、鋼板は歩道のエリアに隅の部分に入り込んでいた。
今日お話しした区の方にうかがうと、この広場南の細長い土地は
結構高低差がある土地であり、どう収拾を付けることになるのか、興味深いし楽しみでもある。
先日確認したら、立坑跡は地表面が植物に覆われていた。
深さ5mの坑の構造物を解体するとなると大作業になるが、そのような工事が行われた様子はないので、どうやら、単純に埋め殺したようである。
深さ5mの坑の構造物を解体するとなると大作業になるが、そのような工事が行われた様子はないので、どうやら、単純に埋め殺したようである。
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