刊行されている書籍や「郷土目黒」などの地域史の研究誌などでは、丹念に調べると、想像していた以上にみることができるのだが、インターネット上のそれは非常に限られている、といってよい。
このページでは、それらの、いわば希少なネット上の写真のリンク先を、順次追記しながらご紹介してゆくことにしたい。
■ 「しながわWEB写真館」
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/
JR目黒駅が、品川区内にあるのは有名な話だが(一方、品川駅は港区にあるし、新宿駅も一部は渋谷区にある)、その目黒駅を昭和40年代に俯瞰で撮影した写真の、いずれも左端に、目黒通りが山の手線を越える上大崎橋をのすぐ南脇にあった、三田用水路がやはり山の手線の上を越えるる水路橋が、小さく写り込んでいる。
●目黒駅
1965年(昭和40年)/上大崎2丁目/駅舎と駅前の様子を見下ろす
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=8196
●目黒駅全景
1965年(昭和40年)11月27日/上大崎2丁目/ビルの上から全景を見下ろす。駅前に停められた何台ものタクシー
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=6446
●店の立ち退きが終わった目黒駅前
1962年(昭和37年)10月17日/上大崎2丁目/駅舎の横は、資材の積まれた更地となっている
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=6318
●国鉄目黒駅の風景 2
1965年(昭和40年)11月27日/上大崎二丁目/改修工事中の駅舎を、ビルの上から撮る
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=321
■メトロアーカイブアルバム
https://metroarchive.jp/
●日比谷線建設工事 恵比寿~中目黒 三田用水下の工事
1961(昭和36)年/日比谷線/中目黒
https://metroarchive.jp/pic_year/year1960/%e6%97%a5%e6%af%94%e8%b0%b7%e7%b7%9a%e5%bb%ba%e8%a8%ad%e5%b7%a5%e4%ba%8b%e3%80%80%e6%81%b5%e6%af%94%e5%af%bf%ef%bd%9e%e4%b8%ad%e7%9b%ae%e9%bb%92%e3%80%80%e4%b8%89%e7%94%b0%e7%94%a8%e6%b0%b4%e4%b8%8b.html
●日比谷線工事風景
1960年代(昭和35-44年)/日比谷線/中目黒
■三田用水の物語
http://www17.plala.or.jp/mitayousui2016/
「あるく渋谷川入門」の著者である梶山公子さんの、三田用水研究サイト。
画像は、現代の写真と近世期の地図などが中心だが…
槍が埼水路橋について
・目黒区蔵の写真
上記ページ冒頭のタイトル
・渡部一二教授撮影の写真
上記ページほぼ半ばの「2017.4.1」の項
他に
・新茶屋坂上の水路橋の目黒区蔵の写真
・世田谷区北沢五丁目にあった取水圦の同区北沢小学校蔵の写真
などを見ることができる。
■玉川上水系に関わる水路網の環境調査
http://www.tokyuenv.or.jp/wp/wp-content/uploads/2011/04/4b3fc375a851a99bbc2508f2d6fd855f.pdf
多摩美術大学の渡部一二名誉教授による標記調査のレポートで、そのpp.343-360(pdfのpp.353-370) に、「017 三田分水」と題する、旧三田用水路の調査結果がある。
調査日が昭和54年で、通水終了後ではあるが、 三田用水普通水利組合の清算手続が終了した昭和59年9月30日より5年前なので、水路施設はまだかなり残存していた。
とくに、pp.355-356(pdfのpp.366-367)の、昭和9年の室戸台風で水路が決壊したため崩壊した
https://mitaditch.blogspot.com/2017/06/blog-post.html
まま当時まで放置されていた、白金の石積みの築堤の写真は貴重である。
【追記】2022/01/27
■玉川上水・本水路護岸に作られた「分水口空間」の環境調査
前記渡部名誉教授らによる、玉川上水の分水口の現況調査結果。
――江戸時代に作られた「分水口空間」の知恵をさぐる――
三田用水の分水口については、pp.92-95(pdfのpp.93-96)に解説されているが、なにより有難いのが、p.93(同p.94)に、教授が、昭和54年〔1979年。キャプションに「2001年」とあるのは誤り〕に同所を調査した折の、分水弁と2系統の分水を合流させるたえのプールの上の太鼓橋の写真が、カラーでしかも比較的鮮明に掲載されていることである。
■『とうよこ沿線』
沿線の河川 14 三田用水篇
http://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ht-txt/154kasen-14.html
北沢五丁目の分水口、東大教養学部北のコンクリートの水路、槍が埼と新茶屋坂の水路橋、目黒駅上の水路橋(橋台部のみ)などに加え、地味ながら貴重な画像として
港区白金台の芝白金台団地北沿い、上記石積みの築堤のすぐ西の、今の「蓋付暗渠」になる前の水路跡
の写真があります。
■ドボ博 座談会 パート23 用水を見れば地形がわかる
http://www.dobohaku.com/tokyo/ja/zadankai_023/
超オタカラ画像といってよい、目黒駅の山の手線を渡る水路橋の絵葉書
http://www.dobohaku.com/dobo/wp-content/uploads/2018/06/a05b5bb8783d4642adcb124be8ba3e75-1024x736.jpg
がある。
■番外編
槍が埼の水路橋の動画
https://gymlifes.com/post/photo/1720448295664791789_36727008
初めてみたときは驚きました。なぜかは、見てのお楽しみ。
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