Web ”Half Mile Project”で採り上げた
駒場道
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/KomabaMichi.htm
について、先日、そこでも「孫引き」している(「*4」)
堀切森之助・編「幡ヶ谷郷土誌」幡ヶ谷を語る会/H05・刊*
を読んできた。
* おそらく内容は同一と思われるが
東京都渋谷区立渋谷図書館/S53〔1978〕・刊
が初出で、標記のものは「復刻版」のようである
【補注】
この後、ネットオークションで、原典を入手できた。
■同書の…
「五、道路・水路・交通機関」「l 道路 」中の
「世田谷道(鎌倉街道)」の項(pp.35-)の末尾近くに、以下のような駒場道についての記述があった
「執れ〔註:京王線幡ヶ谷駅前から南方向に向かう道〕は甲州街道開通後に造られた路ではあったらうが、古くから開かれてゐたであらうといふ事は、甲州街道からの分岐點の西角に幅八寸、厚さ六寸、高さ三尺程の「おほかみだに道」の古い石標があった事でも知る事ができる。…
元来此の道は駒場道の本道では無い。それが地理的條件と時代の推移によって甲州街道開通以前から存在したであらうと推定される本道を、今は廢道同様の有様に変ぜしめて自ら隆昌を衿って居るが、これも寛文四年(一六六四年)八月以来代々木大上谷(狼谷)火葬場への道として、(新編風土記曰ふ。四谷西念寺勝興寺戒行寺麹町栖岸院心法寺五ヶ寺の拝領地、同上年茶毘所を造ると)多くの亡き人々の霊を送迎してゐるがため、その功徳によって本道以上に榮えたのでもあらうか。」(p.38)
■これを図解すると…
以下のようになるようである。
東京逓信管理局「東京府豊多摩郡代々幡村」逓信協会/M44・刊 < https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Yoyohata-Toyo_CHOSON/Yoyohata-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html > の抜粋に地名等を補入 |
■文中の…
「おほかみだに道」と刻まれた旧い石標。甲州街道と駒場道の交点付近、つまり京王線幡ヶ谷駅近くの地中に、今も眠っているのかもしれません。
【追記】2018/02/04
■今日…
地蔵窪から駒場道旧道を歩いてきた。
(旧駒場道と甲州街道との交差点の「子育地蔵」
その西の「牛窪地蔵」については
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2018/02/post-619a.html
をご参照を。)
■甲州街道沿いの子育地蔵
地蔵堂 頂上に九輪を戴き、狭い不整形の敷地一杯に収めるなど、 設計、とくに構造計算に苦労したと思われるが、さすが「都会の地蔵堂」。 ただ、すでに水平方向に亀裂が発生していまっているし、頂上付近には、 鉄筋に対するコンクリートの被覆厚(かぶり厚さ)不足によると思われる錆が見える。 そろそろ、何らかのメンテナンスは必要だろう。 |
堂の東脇が駒場道の旧道(手前) |
堂の前の歩道橋に登って甲州街道越しにみると 北方向にも道路が続いていたことがわかる |
駒場道旧道に入る 「廃道」は免れたとはいえ、この部分の道幅はとりわけ狭い |
京王線の旧地上線の跡を越える |
駒場道新道との交差点 左方向が西原 |
【追記】181012
この、旧駒場道は、明暦の大火以前の江戸のまちを描いているといわれる
寛永江戸図
に
「セタカヤ道」
として表記されている。
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