テレ朝の『タモリ倶楽部』の制作会社のディレクターさんとADさんに、現地のほんの一部ですが、東大先端研/生産研あたりを歩きながら、三田用水に関する情報提供をしたことがあります。
2009年5月16日放映の「好評! 都内歩いているだけ企画、三田用水のこん跡を巡る!」
の事前取材への対応だったのですが、たしか放映の数日前、ADさんから、仕事場に電話がかかってきて
「昔、三田用水の橋がかかっていた鎗が崎なんですが、都電を通す*ために道を広げたって、本当なんでしょうか?」
* http://showa.mainichi.jp/ikeda1960/2008/05/ik057310.html
■こちらも…
以前、それらしい話は耳にというかネット上で目にしたことはあるのですが、その種の「都市伝説」めいた話は結構多いので、改まって調べたことがなく、一晩かけて調べた結果、資料(後記【参考資料】など)付きで回答したメールは、概略以下のような内容でした。
- 明治13年から42年の間にできていた、駒沢通りの原型となる用水の下をトンネルで潜っていた道路を
- 東京の都市計画事業(正確には「東京市区改正事業」)の一環として、都市計画道路*として整備・拡張するために作られ
- その結果、広がった道を「玉川電気鉄道」が通った
というのが「正解」だと思います。
*正確には「道路」→「街路」
*正確には「道路」→「街路」
■この「大筋」は…
その後見つかった資料からみても、変わらない、というか、むしろ確実なものになっていて、この駒沢通りの玉川電車は、後に東京都電に編入されたので、その点では間違いとまではいえないものの、
「『都電を通すために道を広げた」という話は、単なる『都市伝説』だ」
というのは確かだと思います。
■当の番組では…
「明治時代 都市計画の一環として ここにあった崖を切り崩して 道路が作られました」
というナレーションになっていました。
大きく括れば「バラエティ」に属する番組なのですが、かなり本格的に内容を「考証」しようとしていることを知って、少々見直した覚えがあります*。
*タモリさんの地形・地理への「こだわり」が影響しているのかもしれませんが、CM制作などに長く関わっていた友人によると、この制作会社は、業界では、かなり「しっかりしている」ことで定評のあるプロダクションの一つの由。
■ところが…
市電ではないものの「路面電車を通すために広げた」といってもよい道路が本当にあったのです。
先の鎗が崎を通る駒沢通りのことを、渋谷町(区)では「下通〔しもとおり〕」と呼んでいました。
「下」があるから「上」もあるんだろうということになりますが、そのとおりで、今の「246」というか「玉川通り」というか「厚木街道」が「上通」で、玉川通りと新山手通りの交差点、現・神泉町交差点は、長く「上通3丁目交差点」でした。
実は、もう一つ「中通」という道があって、今の明治通りの澁谷・恵比寿(澁谷橋)間など現・渋谷区内の部分がそれなのですが、この中通が、どうやら、路面電車を通す「ために」広げられたといってもよい道なのです。
■一般に…
市販されたものではないのですが
有田肇・著「朝倉虎治郎翁事跡概要」東京朝報社/昭和10年1月・刊
という本があります。
この朝倉虎治郎というのは、一言でいえば「代官山ヒルサイドテラスのご先祖様」。澁谷村/町/区会議員、東京府/市会議員などを務めた人物です。
澁谷町・編「澁谷町字名地番改正誌」同町/昭和3年・刊 口絵 より |
■この本の…
30ページ以下の「道路に関する事跡」中に
「大正九年度には東京府郡部經濟に於て空前の大事業と稱された厚木街道裏道、今の中通の改修計畫が府會を通過した。
…
初め此の道路は澁谷川に沿ふ五間幅片側町の案であつたが、將來の繁榮の爲には幅員を廣くし兩側町となすことが有利である、然し最初より其の計畫を立てるときは尨大なる豫算となり、他郡他町村會議員の嫉妬を受けて反對される危險があるので、朝倉は計畫を二段に立て右の案を出したのであった。そこで右の案が府會を通過すると同時に朝倉は玉川電鐡會社に對し町理事者を以て、此の機會に會社が更に五間幅の增擴張費を寄附して、軌道敷設讙を獲得することを勧め、叉同時に公友會をして兩側町に計畫變更要望の民衆運動を起さしめ、三角關係の幾折衝を重ねた上で、今日の電車が通ふ九間幅の兩側町が出来上ったのである。」pp.47~49
との記述がありました。
「中通」というのは今の明治通り(の一部)の渋谷での通称で、ちなみに、玉川通りは「上通」、駒沢通りは「下通」と呼ばれていました。
■つまり…
この中通は、
- 当初は、渋谷川の縁に幅員約9メートルの道路を設ける計画だった
大正10年 東京府豊多摩郡澁谷町平面圖(部分) 大正9年に府議会で決議された「幅5間の道路」の計画 位置を、既存の地図上に重ね書きしたものと思われる。 |
- それが、軌道を敷設するための玉川電鉄の寄附によって、渋谷川からやや離れた位置に両側に街区のある幅員約16メートルの道路に計画変更され
- 拡張された幅7メートルの部分を使って、渋谷-天現寺橋間2.6kmの「玉電 天現寺線」が敷設された
大正15年 東京府豊多摩郡澁谷町全圖(部分) http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1231.html |
■結局
「電車を通す『ために』広げられた道路」といえるのは、中通、つまり、今の明治通りであり、
下通、つまり今の駒沢通りの方は「道路が広がることになったので電車を通した」という、よくある話に過ぎないことになります。
下通にかかわる先の「伝説」は(ままあることですが)中通の話が、こちらの話にすり替わった結果、といえそうです。
【追記】2017/08/27
上通つまり玉川電鉄本線の敷設にあたっても、玉川電鉄は、現玉川通りの拡張について、その幅に軌道敷設に必要な分を加えるため、東京府にその費用を寄附していたらしいことがわかった。
【参考資料】
「土木建築工事画報」
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/
中
第9巻6号「東京都市計画事業の沿革」
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/09-06/09-06-1827.pdf
第15巻1号「東京府施行都市計画道路工事」
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/15-01/15-01-2737.pdf
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